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  • 執筆者の写真SOH

人生ではじめてワードスタディしてみた|「平和」(שָׁלוֹם)

ヘブル語の授業を履修し、人生ではじめてワードスタディをした。


ピックアップしたことばは「平和」だ。


大学の同級生で、今は広島に住んでいる友人が「平和」という言葉が好きで、今度、彼に今度会う時「聖書の『平和』について語り合えたらなあ」と思っていたからである。


使ったツールはBIBLE HUBという無料の最強サイト&新改訳聖書2017である。(あと、Bible Projectのワードスタディの動画もめちゃめちゃ参考にした)


・ヘブル語の平和(שָׁלוֹם)


 旧約聖書で「平和」と訳されている「シャローム」(שָׁלוֹם)は旧約聖書に237回¹登場する。聖書の「平和」(シャローム)は戦争がないことを言っているだけではない。より良いものを指し示している。新改訳聖書2017では、「平安」(創15:15)、「安心」(出エ4:18)、「無事」(ヨシュ10:21)などといったことばにも訳されているが、その根本にある意味は「完全性(completeness)」²である。例えば、ヨシュア記8:31にはヨシュアが律法(出エ20:25)通りの祭壇をつくるために、「鉄の道具を当てない『自然なままの』石」を使ったことが記録されているが、ここの「自然なままの」は「シャレーム」(シャロームの形容詞)であり、ひび割れのない「完全な」石を意味している。また、エレミヤ13:19の「一人残らず捕らえ移される」の「一人残らず」は「シャローム」が反映された訳語である。これも「完全性」示している。

 シャロームは元々「シャラーム」という動詞から来ている語であるが、動詞の用例を見ると、シャロームは「物事をその本来の「完全な(completeness)」状態に戻すこと」を意味していることが見えてくる。出エジプト記22:1ではユダヤ人が牛か羊を盗んで転売した場合、牛なら5倍で、羊なら4倍で「償わなければ」ならない、すなわち、「シャラーム」しなければならない、とある。箴言16:7には「主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人を和らがせる」とあるが、ここで、「和らがせる」と訳されていることばも「シャラーム」である。このように、壊れた状態をその本来の「完全」な姿に戻すことが「シャローム」の根本にある意味なのである。「神がつくる平和(シャローム)は、共同体の中に祝福が満ち、成員相互の間に豊かな調和があり、全体として力に満ちた状態を指している」³。

 

³「預言者イザヤと平和」、油井義昭著、p3


・エレミヤ29:11


 エレミヤ29:11を私は大学生の頃から握っている。(「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。ー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」)神が私たちに最高の将来と希望を用意してくださっていると今もこのみことばを通して信じている。今回「シャローム」について調べていながら、このエレミヤ29:11にも「シャロームあるやん!」と気がついた。新改訳2017で「平安」と訳されていることばである。また、エレミヤ書29章7節にも「シャローム」は3回登場する。29章でエレミヤはバビロン捕囚ですでにバビロンに住んでいるユダヤ人たちに対して「シャローム」を約束する預言をしたのである。28章で死んだ預言者ハナンヤも「シャローム」を約束する預言したが、主から出たものではなかった。(エレ28:9)エレミヤの預言はハナンヤや他の預言者たちの預言のように、人間的に考えたら「夢」のある約束ではなかった。(エレ29:8-9)ハナンヤはエルサレムへの帰還を2年と預言したが、エレミヤは70年と預言した。(エレ28:3、29:10)捕囚の民にとって、それは長すぎると感じたはずであり、「今すぐシャロームがほしい!」と思ったことだろう。しかし、神のご計画は人間の思いを超えて素晴らしい。神はエレミヤを通して、捕囚の民が「シャローム」を得る方法は捕囚の地(敵地、異教の国)が「シャローム」を得ることだ、と仰ったのである。(エレ29:4-7)イスラエルの壊れた状態にあった共同体を「今すぐに」回復させることは神のご計画ではなかった。ユダヤ人共同体には敵地で忍耐を持って祈り、働き、家族を形成し、その地と良い関係を結ぶことが求められた。この神の命令に従うことで、本来あるべき完全な、シャロームな、共同体へと向かっていくのであり、そのプロセスも、神のシャロームな最高のご計画(エレ29:11)なのである。


・エイレーネ(εἰρήνη)


 シャロームの概念は新約聖書において「エイレーネ」ということばにそのまま引き継がれている。イエス・キリストの到来は「エイレーネー」の到来と旧約聖書で預言されており、すべての間違い、すべての損傷したものを完全に修復される救い主の到来として期待されている。 しかし、イエスご自身が「あなたがたは、わたしが地上に平和(エイレーネ)をもたらすために来たと思っていますか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ分裂です。」(ルカの福音書12:51)とおっしゃっている通り、イエスは私たち人間が期待するレベルの「平和」をもたらしたわけではない。イエス・キリストは十字架で死んでよみがえられた後、ご自身が超直接的に治める最強の共同体をすぐには設立しなかった。使徒たちと弟子たちにイエスの御霊をお与えになることで(イエスご自身は天に昇り)、イエスの教会を設立された(マタ16:18、エペ3:10ー11)。今、私たちイエスの教会はイエス・キリストによって平和を与えられている(ローマ5:1、エペ2:14ー18、4:3)。そして、聖書を通して啓示されている神の命令に従うことで、本来あるべき完全な、シャロームな、エイレーネな、共同体へと向かっている。そのプロセスも、神のシャロームな最高のご計画と信じている。



 


以上が「平和」のワードスタディ第一弾だ。


これからさらに深掘りして(世の平和の捉え方と、聖書の平和の捉え方の比較など)いこうと思う。


あ、もしかしたら、今回調べたことを映像で表現するかもしれない。


その場合、YouTubeチャンネル「パラボレーカンパニー」で公開する。興味のある方は、チャンネル登録必須である。→パラボレーカンパニーはこちら



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