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  • 執筆者の写真SOH

『ピリピ人への手紙』を書いたパウロの意図(パウロの目的)ってなんなんでしょう?

「パウロは『ピリピ人への手紙』をなぜ書いたんだろう?」そう言ってからレッドアイを一口飲んだのはケントの父だ。


(※「レッドアイ」とはドリップコーヒーにエスプレッソをワンショット追加でオーダーしたスタバのカスタムドリンク。〈目を赤くするほどのカフェインがその由来〉。その刺激的で目が覚める味わいは、NYのクリエーターを虜にしてるとかしてないとか…。いつもより集中したい時におすすめのです!)


 「う~ん…」スターバックスラテをストローですすりながらケントは悩む。

 「聖書を開いてごらん。」と父。

 トートバックから分厚い聖書を取り出してケントはピリピ人への手紙を開いた。「手紙の冒頭でパウロはピリピ教会が福音の進展にあずかってきてくれたことに感謝してる。手紙の前半と後半でも、ピリピ教会が獄中にいるパウロのところにエパフロディトを遣わしてくれて、経済的な贈り物をしてくれたことを神に感謝してる。パウロがこの手紙を書いたのは、この贈り物に対する感謝を述べるためだったんじゃないかな!」「それもありえるな。でも、父さんは、一番の原因は、4章2節にあるんじゃないかなと考えてる。」ケントが素早くページをめくる。


 『ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは主にあって同じ思いになってください』二人は同時に声を発した。


 「教会の中に同じ思いになっていない、二人の婦人がいたんだ。当時、パウロの手紙は教会全体の前で朗読された。パウロはそのことを知った上で、あえて、二人の名前を出して、『同じ思いになってください』と嘆願したんだ。」レッドアイを啜ってから父は話を続ける。「具体的にこの二人がどんなことで一致できていなかったのかは書かれていない。それは、今となっては誰にも分からないことだ。ただ、彼女たちについて、4章3節では『福音のために一緒に戦った』とまで言われているから、ピリピ教会設立の初期の段階から活躍していたと推測できる。」


 「ピリピ教会の中でもその働きの中核を担っていた二人が、内部闘争を引き起こしていた…パウロが公の手紙で名前を出すほどに…これはピリピの教会にとって大問題だ。そういえば~、シカゴのウィロークリークコミュニティチャーチでも内部闘争が起こったって話、前してなかったっけ?」


 「ああ、ウィロークリークが設立して2年経った時のことだ。当時、ウィロークリークでは主任牧師という役職が無かった。ビルハイベルズ牧師がコーディネーター牧師として、実質リーダーだったが、正式なトップのリーダーと公にされているわけではなかった。教会組織の権威の所在が明確になっていなかったんだ。ウィロークリークは伝道活動には燃えていて、スタッフは大忙しに福音の進展に励んでいた。しかし、信徒たちから『責任者は誰なのか?』という声が聞こえ始め、スタッフの間でも、牧師に対する反発、仲間割れが起こってきてしまった。そんな状態が続き、『このままでは教会が分裂してしまう』ということで、教会の牧師と全スタッフが集まって、話し合い、ビルハイベルズが主任牧師となって教会の方向性をとることを決めた。そのようにして、すぐに問題が解決したわけではなかったが、一致に向かって進むことができるようになったんだ。」


 「教会が福音の進展に燃えていても、リーダーたちの方向性に一致がなければ、それは大問題だね。やっぱり、ピリピ教会における二人の婦人の不一致というのは、ピリピ教会の問題の核心部分といえるかもしれない…パウロはピリピ教会から派遣されたエパフロディトからそのバットニュースを聴いて、『このままではまずい!』と思った…そして、ピリピ教会がしっかりと建て上がっていくために、『教会が一つ思いとなる必要がある!』福音の進展のために『教会が一致する必要がある!』と考えてこの手紙を書いたのか…」

 「その視点でピリピ人への手紙を読んでごらん。ほら、『聴くドラマ聖書』で聴いてみるといい。当時のピリピ教会の人の気持ちになって聴くんだ。ユウオディアとシンティケも一緒に集まってその朗読を聴いていた当時の教会の現場に自分を置いて聴くんだ。」ケントは早速イヤホンを取り付けた。父は目をつむって暗唱している「ピリピ人への手紙」を心の中で唱え始めた。


 20分経ち、ケントが口を開いた。「父さん!全部を通して聴いてみて、やっぱりパウロはユウオディアとシンティケによる不一致の問題に対処するために書いたって思えたよ!パウロは2章で、イエス様が神であるのにご自身の権利をすべて捨てて十字架にかかられたことを書いた。それはユウオディアとシンティケ、それに教会全体がそのイエス様に倣って、自分を低くすることで、一致するためだった!2章後半でテモテは『私と同じ心』で教会を心配してると述べたのも、エパフロディトの献身的な姿を書いたのも、ピリピ教会がその姿に倣って、一致するためだった!3章でパウロが自分自身のキリストにある生き方を書いたのも、教会全体がその姿に倣って、ただキリストにあって一致するためだった!パウロがこの手紙を書いた一番の『なぜ?』がみえてきた気がする!ユウオディアとシンティケの不一致をストップさせるため。積極的には教会が一致して福音の進展に励むようになるためにこの手紙を書いたんだ!」







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