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山上の説教(ロイドジョンズ著)を途中まで読んで書いたメモ

山上の説教(ロイドジョンズ著)を途中まで読んで書いたメモ




★心の貧しい者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだからです。


・自発的に貧乏になることの根拠ではない。

・高慢さが全くなく、自己確信が全くないこと。神の前に自分は何者でもないことを意識していること。

→神の恵みに徹底的により頼む

→イエスをみる。聖書を読む。そうすると自分の力だけでは望み無いことがわかる。


★悲しむ者は幸いです。

その人たちは慰められるからです。


・心の貧しいことが経済的なことではなく、本質的に霊的なことであるようにらここも同じ。霊において悲しんでいる人。自分の罪、他の人の罪をも悲しむ人。

・悲しみの人で病を知っていた…イザヤ53


★柔和な者は幸いです。

その人たちは地を受け継ぐからです。


・この幸福の使信は、理論的関連性がある。順番に意味がある。ここで私たちは、他の人にも関心を持ち始めるという点に到達しようとしている。

・ここでイエスが言っている「柔和」とはうまれつきの気質ではない。生物学的なことではない。犬や猫でも生まれながらに飼い主になつきやすい、なつきにくいものがいる。ここでイエスがいている「柔和」とはそれではない。

・柔和な人とは、真理のために戦うことを確信しているゆえに、必要ならばそのために死ぬことさえ辞さない人である。殉教者たちは柔和であった。しかし、彼らは、決して弱くなかった。

・キリストは、神と等しくある権利を主張しなかった。キリストは、あえて主張しなかった。これこそ、私たちが到達すべき点である。

・柔和とは不当な苦しみを受けている時でさえ、忍耐し、我慢強いことである。(1ペテロ2)

・地を受け継ぐとは?柔和な人は、すでに、この地上生活において、次のように地を受け継いでいる。すなわち、真に柔和な人は、いつでも満ち足りている人、すでに満足している人である。「何も持たないようであるが、全てを持っている」パウロ(2コリント6:10)

・他方、これは将来のことも言っている。「私たちは世をさばくことになる」(1コリント6:2)相続人(ローマ8)

・柔和に自分でなれる人は誰もいない。聖霊によらなければ。聖霊が私たちを心の貧しいものとし、自分の罪ゆえに悲しませ、その結果自分についての真実で正当な見方をいだかせて下さらなければ。


★義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。


・私たちは幸福を求めて飢え渇くべきではない。聖書によれば、幸福は、決して直接求めるべき者ではない。幸福とは、いつでも何か他のことを求めた結果与えられるものである。

・義でありたいと思っている人だけが、真に幸福なのである。

・ここでの義とは、義認を超えて聖化を含む。罪から解放されたいという願い、積極的に言えば、神と正しい関係にいたいという願いである。

・義に飢え渇くとは、自己からの解放、自分の栄誉を求める思いからの解放を心から望む人の姿である。積極的に言えば、きよくなりたいという切望。究極においては、イエス・キリストご自身のようになりたいという願い。

・飢え渇くとは、私たちの絶対的な必要の自覚、痛みを感じるほどの自分の必要の自覚すること。飢え渇くことは満たされるまで続く。

・キリスト者は完全であるが、しかもなお完全になるべき人なのである。(ピリピ3:14)

・この聖句は恵みによる救いの教理の完璧な描写である

・自分の力では不可能

・魏に飢え渇いている人は自分の義が不潔な衣にすぎないこと(イザヤ書)を知っている

・多くの人が義人のように死にたいと願う。義人のように死にたければ義人のように生きなければならない。


★あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。


・牧会書簡だけが「恵みとあわれみと平安」という挨拶。他のパウロ書簡は「恵みと平安」。


★マタイの福音書 5:9

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。


・平和をつくる者は神の栄光をもとめる。自己中心から解放されていり。イエス・キリストに似ている。


★マタイの福音書 5:10

義のために迫害されている者は幸いです。

  天の御国はその人たちのものだからです。


・もし、キリスト者が平和をつくる者であるならば、(9節)この10節の迫害が彼に起こる。


・善良であるために、自己犠牲的であるために、迫害されていり人は幸いである。とは言われていない。世は善良な人を尊敬し、賞賛し、愛する。世は義人だけを迫害する。


・義であるとは、イエス・キリストに似ているという意味にほかならない。そこで、キリストに似ているために迫害されている人は幸いであるといえる。


・[テモテへの手紙 第二 3:12]キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。


・なぜ義人は迫害される?善良な人が賞賛されるのは、「私でも、その気になりさえすれば、あのようにできる」と思うから。しかし、義人は義人であるというだけで、人々に罪を宣告する。


★マタイの福音書 5:11

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

マタイの福音書 5:12

喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。


・報い!報いが与えられるということを決して忘れないようにしよう。例えば、ルカの12章の多く打たれたしもべと、少ししかむち打たれなかったしもべの話。


・なぜモーセはパロの娘の子であり続けようとしなかったのか。それは、彼が罪のはかない快楽にふけるよりも、神の民とともに虐待されることを選び、報いに目を向けていたから。へブル11:25~26


・あなたがたは上にあるものを思うべきで、地上のものに心引かれてはいけない。コロサイ3:2






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